【ニュースの要点】
- 香港政府は2026年5月22日の新聞公報で、《維持生命治療的預作決定條例》(Advance Decision on Life-sustaining Treatment Ordinance、第651章)の主要条文を2026年7月31日に施行すると発表しました。公報が示すのは「主要條文」の施行日で、全条文が同日に発効するとは記されていません(香港政府新聞公報、2026年5月22日)。
- 条例の目的は、預設醫療指示(Advance Medical Directive=AMD、事前指示)と不作心肺復甦術命令(DNACPR命令)の法的枠組みを定め、これに従った医療専門職と救援者に法的保護を与えることです(同公報)。
- AMDを作成できるのは維持生命治療について判断する精神能力のある成人のみで、見證人(立会人)2名のうち1名は香港の登録医(註冊醫生/registered medical practitioner)でなければなりません(醫務衞生局(Health Bureau)専用ページ、2026年7月時点)。
- 施行前に作成済みで法定要件を満たすAMDは有効のままですが、既存のDNACPR命令は新しい訂明表格で再発行しないと施行後は有効になりません(醫務衞生局局長の立法会衞生事務委員会での発言、2026年5月8日)。
AMDとDNACPR命令は「別物」
この制度でいちばん誤解されやすいのが両者の関係です。AMD(預設醫療指示)は、本人が精神能力のあるうちに「将来こういう状態になったら、この維持生命治療は受けない」と書き残す意思表示です。DNACPR命令は、医師が発行し、心肺蘇生を行わない旨を医療・救急の現場に示す指示です。AMDはDNACPR命令の根拠になり得ますが、同じものではありません。
醫務衞生局の説明(2026年7月時点)によれば、医療提供者や救援者は患者の所持品からDNACPR命令を捜す義務を負わず、命令の存在を知らなければ救命処置を行います。AMDを書いただけで救急隊が自動的に蘇生を控えるわけではないということです。そのため医院管理局(Hospital Authority)は、DNACPR命令が入っていると一目で分かる目立つデザインのポーチを用意するとしています。
誰が、どうやって作るのか
作成できるのは精神能力のある成人に限られ、未成年者や判断する精神能力を欠く成人は作成できません。見證人2名の要件は実務的なハードルです。1名は香港の登録医で、AMDの性質・内容と各指示に従った場合の効果を説明し、署名時に作成者に精神能力があることを確認して声明します。2名とも作成者の「利益攸關者(interested person)」であってはならず、家族が利益攸關者に当たる場合、その家族は見證人になれません。誰が該当するかは個別の事情によるため、事前の確認が必要です(醫務衞生局、2026年7月時点)。
標準書式は醫務衞生局の専用ページで中国語・英語のPDFが無料公開されています(附表2のAMD標準表格、Form 1=一般/Form 2=CPR拒否のみ)。政府は法的要件を満たすよう、標準書式の利用を推奨しています。
効く場面と、拒めないもの
AMDが効力を持つのは「指明の状況」に限られ、醫務衞生局は次の3類型を挙げています(2026年7月時点)。
- 末期疾病(余命が日・週・月単位の、進行性かつ不可逆的な状態)
- 持続的植物状態または不可逆的な昏睡状態
- その他の末期・不可逆的で生命を制限する状態(末期腎不全、運動ニューロン疾患、COPD、末期認知症など)
拒否できる維持生命治療には、心肺蘇生(CPR)、人工呼吸、血液製剤、昇圧薬、人工的な栄養・水分補給などが含まれます。一方、基本ケアと緩和ケアは拒否の対象外です。延命治療の差し控えを可能にする制度であって、積極的に生命を終わらせる仕組みではありません。
撤回は6通り認められています。書面での撤回、標準書式第5部への署名、AMDを焼く・破る・線で消して各頁に署名、成人の見證人1名以上の面前での口頭撤回、新しいAMDの作成、指定電子システム上での撤回(機能稼働後)です。入口は慎重に、出口はやさしく、という設計です。
在住日本人にとっての読みどころ
最期の医療をどう扱うかは、住んでいる場所の制度に左右されます。香港で押さえておきたいのは、見證人の1名が香港の登録医でなければならず日本の主治医では要件を満たさないこと、家族は「利益攸關者」に当たり得るため見證人になれない場合があること、標準書式が中国語・英語で公開されていることの3点です。
なお、香港で作成したAMDの香港外(日本・中国本土など)での効力、および国籍・在留資格による適用の有無については、確認した公式資料に記述が見当たらず、2026年7月時点で未確認です。必要な場合は個別に専門家へご相談ください。
背景:コモンローの規定を成文法に
条例は2024年11月20日に立法会で可決され、同月29日に憲報掲載されました。醫務衞生局は18か月の準備期間を置くとしており、専門職研修や書式整備、医院管理局の運用切替を進めたうえでの施行になります(醫務衞生局、2026年7月時点)。
香港では従来も事前指示がコモンロー(判例法)の下で扱われてきました。醫務衞生局局長は2024年11月20日の立法会での発言で、この条例は現行のコモンロー上の規定を成文法に法典化するものだと説明しています。今回の施行で、要件・効果・免責の範囲が条文で明確になります。医院管理局でのAMD作成件数は、立法会答弁によると2019年から2024年まで年1,400〜1,700件台で推移し、2025年は2,070件でした(立法会質問への回答、2025年4月30日および2026年4月1日)。既存の実務が法律の土台に載る、という整理が正確です。
施行日を前に確認しておきたいこと
- すでにAMDを書いている方:法定要件を満たしていれば施行後も有効で、作り直しは不要です。見證人の要件を満たしているか一度確認しておくと安心です。
- 家族にDNACPR命令が発行されている方:既存命令は新様式で再発行しないと施行後に有効でなくなります。医院管理局が施行前から順次切り替えるとしていますが、個別の切替時期は公表されていません。担当医・病院にご確認ください。
- これから検討する方:拒否できるもの・できないものと3つの適用状況を確認し、見證人2名を先に確保するのが実務的です。書いた後は家族やかかりつけ医に所在を伝え、醫健通(eHealth)に保存する選択肢もあります(任意)。救急現場で機能させたい場合は、主治医にDNACPR命令の要否を相談してください。
- 日系企業の実務担当者:確認した公式資料には、雇用主の義務についての言及は見当たりません(2026年7月時点)。ただし香港で医療・介護・シニア向けサービスや保険に関わる事業を行う場合は、DNACPR命令の訂明表格や救援者の免責範囲が業務手順・約款・研修内容に関係し得ます。
まとめ
7月31日に施行されるのは第651章の「主要条文」で、延命治療を断る意思を書面に残す枠組みと、それに従う医療者・救援者の免責が法律で明確になります。押さえるべきは、AMDとDNACPR命令が別物であること、見證人2名のうち1名は香港の登録医であること、既存のDNACPR命令は新様式での再発行が必要なこと、そして書いただけでは救急現場で自動的に効くわけではないこと、の4点です。
書式や運用の細部は今後更新される可能性があります。最新は醫務衞生局の公式ページで必ずご確認ください。本記事は2026年7月時点の公開情報に基づく一般的な解説であり、個々の病状や家族関係を踏まえた判断、書面の有効性の確認については、香港の医師および法律専門家に個別にご相談ください。
出典
- 香港政府新聞公報「《維持生命治療的預作決定條例》將於七月三十一日生效」(2026年5月22日)(2026年7月24日閲覧)
- 香港政府新聞公報(英語版)「Advance Decision on Life-sustaining Treatment Ordinance to come into effect on July 31」(2026年5月22日)(2026年7月24日閲覧)
- 醫務衞生局(Health Bureau)「Advance Decision on Life-sustaining Treatment Ordinance」専用ページ(要件・標準書式PDF)(2026年7月24日閲覧)
- 同・中文版(2026年7月24日閲覧)
- 香港政府新聞公報「醫務衞生局局長在立法會衞生事務委員會會議就《維持生命治療的預作決定條例》的實施安排的開場發言」(2026年5月8日)(2026年7月24日閲覧)
- 香港政府新聞公報「立法會:醫務衞生局局長就恢復二讀辯論《維持生命治療的預作決定條例草案》發言」(2024年11月20日)(2026年7月24日閲覧)
- 香港政府新聞公報「LCQ12: Advance medical directives」(2019〜2024年のAMD作成件数、2025年4月30日)(2026年7月24日閲覧)
- 香港政府新聞公報「LCQ17: Care services for terminally-ill patients」(2023〜2025年のAMD作成件数、2026年4月1日)(2026年7月24日閲覧)
- 香港政府新聞網(news.gov.hk)「Rules set for advance med directives」(2026年5月22日)(2026年7月24日閲覧)
- 〔Hong Kong Free Press〕Mentally competent Hong Kong adults can legally refuse end-of-life interventions from next Friday(2026年7月23日)(2026年7月24日閲覧)

